服部屋敷

江戸時代、幕府への貢上絹(年貢としての黄八丈)を運ぶ、御用船のお船預りの役にあった服部家の屋敷跡です。初代は伊豆の下田の出身といわれています。屋敷(※敷地)には現在、建物はなく、当時は、大座敷(母屋)と小座敷(離れ)それに、高倉がありました。店内に大正時代に撮影された「門構えと人物」の写真がありますが、正面の蘇鉄の奥に大座敷の茅葺屋根が写っています。

※屋敷:現在、屋敷は建物を指すようですが、島では、昔のまま敷地のことをいいます。

石垣

一段目の石垣は流人、近藤富蔵によるもので、盛土した後に島の溶岩石で積み上げました。石垣の東側は、現在、樫立公民館が建っていますが、一段目は三原山の方向に奥へと続き、石垣の東側は、田んぼでした。また、タクシー営業所と商店があるあたりは、沢になっていて、水が溜まった池がありました。これらの田んぼや池を自然の堀と見立てて想像を巡らせると近藤富蔵が築城形式でこの石垣を築いたということも頷けます。二段目は、波で洗われ、丸くなった玉石で築いた石垣となっています。

大蘇鉄

庭内中央には樹齢八百年の大蘇鉄があります。蘇鉄の大きな物は、幹の長さ1メートルで約百年位といわれています。また、入口右側の石垣の蘇鉄は、樹齢四百年以上です。この蘇鉄は、昔、服部家と長戸路家が婚姻を結んだ際に持参した物で、末吉からは陸路では運べず、海路で樫立まで運んだとのことです。長戸路家には持参した物の目録が残っています。この蘇鉄のおおよその樹齢がわかっていることから大蘇鉄をその倍の八百年と推測しています。
入口から一番奥の大蘇鉄は、大変珍しい大枝を持った蘇鉄です。右手奥に回って東側から見るとその大枝はあります。蘇鉄は太古からある植物で、雄株と雌株に分かれ、雄株には雄花が、雌株には雌花が咲くのですが、この大枝には、雄花と雌花が同時に咲くことがあります。2018年に咲きましたが、それ以前に同時に咲くことがあったのは、40年以上前のことでした。

同じ枝に咲いた雄花と雌花(2018年6月)